公開日 2021年10月20日(Wed)
10月18日。全校朝礼がありました・・
10月19日は・・・「霧島高校創立記念日」です。
学校の誕生日!!Happy Birthday!!
^^と言うことで,
本日の全校朝礼は霧島高校誕生について当時の話を交え,少し紹介します。
また,今年が開校14年目になりますが,その半分以上を勤務されている月野木先生の講話も紹介したいと思います。
「霧島高校」という名前は1,500を超えるアンケート回答の中から一番多かったものでした。
(ちなみに,「栗園高校」「牧野高校」「姶良高校」「霧島中央高校」「みやま高校」などあったとか)
そして本校の校歌を創った辛島美登里さん(シンガーソングライター)は,当時霧島高校を創った方々の思いが詰まった曲にしましたと出演したラジオ番組で話されておりました。
<辛島美登里さんの願い>
校歌といっても子どもたちだけが歌うのではなく,町の人と霧島に住んでいる人たちが皆で盛り上げていき,町ぐるみで子どもたちを育んでいけるような環境ができるといいなという願いを込めて創りました。
「学校」はいろんな人が携わって創られていきます。
「学校」は教科学習も大切ですが,文化祭や体育祭などのいろんな行事を皆で作り上げ,達成感や一体感,充実感といったものを体感できる場所でもあるのです。
また,安心安全な環境は自然に生まれるものではなく,見えないところで生徒一人ひとりの安全を願い支え働いている先生もいます。
- 学校にきて何を学ぶのか?
- 学校ってどんなところなところなんだろう?
「霧島高校創立記念日」を前に,その思いを考えてもらいたいと思います。
<月野木先生の体験談>
月野木さんは6歳の時,事故で右手の指をすべて失いました。
小学校に入学した当初は,自分が障害を持っている事で,消極的になっていた時期もありましたが,保育園から一緒であるクラスメイトの気遣いや,健常者と同じように養育して下さった先生方のおかげで,出来ない事が工夫や努力で出来るようになり,自信をつけ積極的な考えを持てるようになりました。
そこで学んだ事は・・・
- あきらめずに努力をすれば何でも出来るようになる。
- 自分の力を信じる。
社会人になってからは,仕事も順調に過ごし,責任者にも恵まれ30歳前半で管理職になりましたが,家庭の事情で時間調整しやすい製造現場に異動。設備を使って製品を作る仕事に就きました。
そこで,現場責任者の
「手が不自由だから,設備のメンテナンスは無理だ」
という一言が,心の中で
「必ずメンテナンスが出来るようになってやる」
という反骨精神に火をつけます。
「道具を工夫し,技術者に調整ポイントを確認して
独自のメンテナンス方法!!を確立しました。」
そこで学んだ事は・・
周りに何と言われようと,
あきらめずに,経験をもとに,
創意工夫をする事で,健常者と同等かそれ以上の技術を磨いていける
霧島高校で働くようになって8年。
環境整備を行う作業では機械や道具が必要で不備があれば,作業はできなかったり,作業効率が低下してしまいます。時間や費用を考えれば,自分で修理,メンテナンスをできる事が最も効率が良い。そしてその修理やメンテナンスができるようになった事で,今では機械の音で異常がわかるようになりました。
しかし,最初からできた訳ではありません。
自分でできるようになりたいと思う強い意志と
地道な努力の積み重ねが必要だと思います。
失敗を恐れずにチャレンジする前向きな考え方すれば
必ず良い結果が得られます。
皆さん。努力をあきらめないでください。
自分の目標を達成するために強い意志と
前向きな考え方でチャレンジして行って欲しいと思います。
月野木先生の講話を聞いた生徒の感想文を読ませていただきました。
体験談を聞いて,生徒一人ひとり多くのことを学んだようです。
このような人の支えを身近に感じる事ができるのも「学校」であり,
心身を成長をさせてくれるのも「学校」だと思います。
いつも綺麗な学校の環境を整えて下さっている月野木先生。
これからも「霧島高校」を温かく見守っていて下さい。
ありがとうございました。